名言の全文と意味
是非とも初心忘るべからず。
時々の初心忘るべからず。
老後の初心忘るべからず。
— 世阿弥『花鏡』
室町時代の能楽師・世阿弥が、能楽論書『花鏡(かきょう)』に記した言葉です。現在は「初心忘るべからず」の一句だけが独り歩きしていますが、原文は三つの初心を並べた形になっています。
一般には「始めた頃の新鮮な気持ちを忘れるな」という意味で使われます。ただ、世阿弥が書いた文脈をたどると、そこには収まりません。
まず、ここでの「初心」は未熟だった頃の、うまくいかなかった自分を指しています。志の高さや情熱ではなく、できなかった記憶のほうです。
そして「忘るべからず」は、その未熟さを覚えておけ、という指示になります。今の自分がどこから来たかを忘れると、成長の度合いが測れなくなるからです。
つまりこの言葉は、過去の自分を物差しとして持ち続けよという技芸論として書かれています。懐かしむための言葉ではありません。
この名言が生まれた背景
世阿弥は14世紀後半から15世紀にかけて活動した能楽師で、父・観阿弥とともに能を大成した人物とされています。
『花鏡』は、その世阿弥が晩年に近い時期にまとめた伝書のひとつです。芸をどう磨き、どう保つかを、自身の経験に即して書き残しています。
三つの初心には、それぞれ違う場面が想定されています。
📐 世阿弥が挙げた三つの初心
是非の初心
芸を始めた頃の未熟さ。何ができていなかったかを覚えておく。
時々の初心
年齢や立場が変わるたびに訪れる、新しい段階での未熟さ。
老後の初心
年を重ねてなお、その年齢で初めて向き合う課題がある。
一つ目の「是非の初心」は、始めた頃の話です。ここまでは一般に知られている理解と重なります。
踏み込んでいるのが二つ目です。世阿弥は、初心は一度きりではなく、段階が変わるたびに新しく生じると考えていました。
能では、演じる役柄が年齢とともに変わります。若い頃に評価された芸のまま年を取ると、通用しなくなる。そのたびに、また初めての段階に立たされるという見方です。
三つ目の「老後の初心」は、さらに先を見ています。芸を極めたはずの晩年にも、その年齢でしか出会えない課題があるとしました。
世阿弥自身、晩年に佐渡へ流されたとされています。順風だけの生涯ではなかった人が、老いてなお初心があると書いた点に、この言葉の重さがあります。
世阿弥が残した伝書は、長く一般に知られていませんでした。一族のなかで秘伝として受け継がれ、広く読まれるようになったのは明治期に入ってからだとされています。
つまりこの言葉は、五百年近く表に出ないまま伝えられてきたことになります。人前で語るための標語ではなく、稽古の現場で使われる実務の言葉だったわけです。
そう考えると、初心を「うまくいかなかった記憶」としている理由も腑に落ちます。外向けの美しい言葉である必要がなかったからです。
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この言葉ほど、原典と一般の理解がずれているものは多くありません。ずれは二か所にあります。
ひとつ目が、「初心に返る」という言い方です。返るという言葉が入ると、過去のある一点に戻るという意味になります。
しかし世阿弥が書いたのは「忘るべからず」で、返れとは言っていません。持ち続けよ、という指示です。
この違いは実際に効いてきます。返るのであれば、いま到達した水準を一度手放すことになります。持ち続けるのであれば、今の自分と過去の自分を並べて比べられます。
世阿弥が求めたのは後者です。未熟だった頃の自分が、今の自分を測る物差しになるという構図になっています。
ふたつ目が、初心を美しいものとして扱う点です。一般には、純粋だった頃、情熱に満ちていた頃という含みで語られます。
ところが原典の初心は、うまくいかなかった記憶のほうです。恥ずかしい、思い出したくないという類のものも含まれます。
世阿弥はそれを覚えておけと言いました。忘れたくなる記憶ほど、物差しとしては正確だからです。
三つの初心を並べた構造も、この文脈で読めます。始めたときだけでなく、段階が変わるたびに新しい未熟さが生まれる。それを一つずつ抱えておけ、という積み上げの話になっています。
ちなみに『花鏡』には、若い頃に評価された芸をそのまま続けることへの警戒も書かれています。上達したと思った瞬間が、いちばん危ういという見方です。
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三つの初心という構造を知ると、使える場面が広がります。
とくに二つ目の「時々の初心」は、職場の状況とよく噛み合います。役割が変わったときは、経験者ではなく初心者だという捉え方です。
プレーヤーとして成果を出した人が管理職になる。専門職が別の領域に移る。転職して環境が変わる。どれも、それまでの実績がそのまま通用する場面ではありません。
ここで前の段階のやり方に固執すると、周囲との噛み合わせが悪くなります。世阿弥の言い方を借りれば、時々の初心を忘れた状態です。
昇進・異動の挨拶で使うとき
経験を強調するより、新しい段階に立つ姿勢を示すほうが受け入れられます。
例文:
「このたび◯◯部を担当することになりました。前部署で十数年やってまいりましたが、この役割では初めてのことばかりです。世阿弥の言う『時々の初心』を忘れずに、まずは皆さんの仕事を理解するところから始めます」
後輩の指導で使うとき
できなかった頃の記憶を持ち出すと、相手の状況を具体的に扱えます。
例文:
「私も最初の年は同じところで詰まりました。手順は覚えても、なぜその順番なのかが分かっていなかったからです。そのときの自分を思い出しながら見ているので、分からない箇所は遠慮なく聞いてください」
ベテランが自分を点検するとき
老後の初心にあたる使い方です。
例文:
「この分野は長くやってきましたが、今の若い世代の使い方はまったく違います。分かったつもりでいると足元をすくわれるので、この歳で改めて学び直しているところです」
💡 この名言を使うときの三点
- 原文は三つの初心を並べた形。一句だけでは意味が半分になる。
- 「初心」は情熱ではなく、未熟だった頃のできなかった記憶を指す。
- 初心は一度きりではなく、段階が変わるたびに新しく生じる。
- 役割が変わったときは、経験者ではなく初心者として振る舞う。
- 晩年にも初心があるという三つ目が、この言葉のいちばん深い部分。
「初心に返る」という言い方が広く使われていますが、世阿弥が書いたのは返ることではなく、忘れずに持ち続けることでした。
三つの初心を、いまの仕事に置き直す
三つの初心は、そのまま職業人生の段階に対応させられます。
是非の初心は、入社して間もない頃です。何も分からず、指示されたことすら正しく実行できなかった時期。ここは誰でも思い出せます。
時々の初心は、そこから先に何度も訪れます。初めて後輩を持ったとき、初めて予算を任されたとき、初めて社外と交渉したとき。そのたびに、前の段階では通用した振る舞いが通用しなくなるという経験をします。
この段階で多いのが、実績を根拠に押し切ろうとする失敗です。前の役割で結果を出した方法を、新しい役割にそのまま持ち込んでしまう。
小さいことを積み重ねるという言葉が説くように、積み上げそのものは正しい。ただ、積み上げてきたものが次の段階でも同じ形で効くとは限りません。
老後の初心は、キャリアの後半に当たります。長く同じ領域にいるほど、分かっているという前提が固まります。
そこで新しい道具や新しい世代の作法に出会ったとき、初めて向き合う課題として扱えるかどうか。学びて思わざれば則ち罔しという孔子の言葉と同じ問題がここにあります。
三つを通して見ると、この言葉は謙虚さの標語ではないと分かります。自分の現在地を測る方法を述べた、きわめて実務的な教えです。
似た意味の名言・格言
- 「学びて思わざれば則ち罔し」(孔子)— 学ぶことと考えることを両輪とする教え。段階ごとに学び直す姿勢と重なります。
- 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」— 熟達するほど謙虚になるという句。老後の初心と近い位置にあります。
- 「守破離」— 型を守り、破り、離れるという修行の段階論。世阿弥の芸論を源流のひとつとする見方があります。
- 「初心に返る」— 広く使われる言い方ですが、原典は返るのではなく忘れないことを説いています。
座右の銘として掲げるとき
この言葉を座右の銘に挙げる人は多く、面接や自己紹介の場でもよく耳にします。
ただ、一句だけを挙げると印象は薄くなります。同じ言葉を選ぶ人が多いぶん、なぜその言葉なのかを自分の経験で語れるかが差になります。
三つの初心を知っていると、ここで具体的に話せます。「始めた頃の気持ち」ではなく、「役割が変わるたびに初心者に戻る」という点を挙げれば、実務の話につながります。
例文:
「座右の銘は『初心忘るべからず』です。世阿弥の原文には三つの初心があり、なかでも『時々の初心』を意識しています。前職では、担当から管理側に移った年に、それまでのやり方が通用せず苦労しました。役割が変わるたびに一度リセットする、という意味で受け取っています」
安岡正篤の思考の三原則のように、判断の型を示す言葉と組み合わせる方法もあります。構えを述べる言葉と、手順を述べる言葉は役割が違うためです。
掲げたあとの扱いも考えておいてください。座右の銘は、周囲がその人を測る基準にもなります。言葉を掲げた時点で、そう振る舞うことを期待されるという側面があります。
世阿弥の言葉は、その点でも扱いやすいものです。完成した姿ではなく、常に未熟さを抱えている状態を表しているからです。
まとめ
「初心忘るべからず」は、世阿弥が能楽論『花鏡』に記した言葉です。原文は是非の初心、時々の初心、老後の初心という三つを並べた形になっています。
ここでの初心は、始めた頃の情熱ではなく、未熟でできなかった頃の記憶を指します。それを覚えておけ、というのが世阿弥の指示でした。
もっとも実務に効くのは二つ目です。初心は一度きりではなく、役割や年齢が変わるたびに新しく生じるという見方は、昇進や異動の場面にそのまま当てはまります。
そして晩年にも初心があるとした三つ目に、佐渡へ流されたとされる世阿弥自身の生涯が重なります。
📋 この記事の要点
- 世阿弥が能楽論『花鏡』に記した言葉
- 原文は「是非」「時々」「老後」の三つの初心を並べた形
- 「初心」は情熱ではなく、未熟だった頃のできなかった記憶
- 初心は一度きりではなく、段階が変わるたびに新しく生じる
- 晩年にも初心があるとした点に、この言葉の重さがある
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