名言の全文と意味
Impossible n’est pas français.
不可能という語はフランス的ではない。
— ナポレオン・ボナパルト(1813年、ルマロワ将軍あての書簡とされる)
日本では「余の辞書に不可能という文字はない」という形で知られています。ただし、この言い回しは原文の直訳ではありません。
原文としてよく挙げられるのは、1813年の書簡にあるフランス語の一節です。直訳すると「不可能という語はフランス的ではない」となります。
辞書という語は原文に出てきません。日本語の「余の辞書に」は、後世に定着した意訳や翻案と考えられています。
意味の違いも小さくありません。原文は個人の意志の強さではなく、フランス人の気質に訴える言い方になっています。
「私にはできないという言葉はない」ではなく、「不可能などという言葉はわれわれの語彙ではない」という、集団に向けた鼓舞の言葉です。
この名言が生まれた背景
1813年という年が、この言葉の重さを決めています。
前年の1812年、ナポレオンはロシア遠征に踏み切り、大きな損害を出して撤退しています。集めた大軍のほとんどを失ったとされる、決定的な打撃でした。
1813年は、その立て直しを図りながら各地で戦っていた時期にあたります。つまりこの言葉は、順風のときではなく、崩れ始めた局面で書かれたものです。
書簡の相手は、包囲された都市の守りを任されていた将軍だったとされています。困難を訴えてきた部下に対する返答という位置づけです。
そう読むと、この一句の性格が変わります。全能感の表明ではなく、できないと言い始めた相手を押し返すための言葉だったことになります。
そして、ナポレオン自身はこの2年後にワーテルローで敗れ、セントヘレナ島へ送られます。言葉のとおりにはなりませんでした。
それでもこの一句が残ったのは、結果ではなく、追い詰められた局面での構えを示しているからです。勝った人の余裕の言葉ではありません。
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原文と日本語の形がここまで離れた例は珍しく、その経緯自体が興味深いところです。
原文にあたるフランス語は、辞書にも個人にも触れていません。フランス語の語彙にそんな単語はないという言い方で、集団の気質を持ち出しています。
これが英語圏で紹介される際、しばしば「私の辞書には」という形に置き換えられました。個人の意志を前面に出した言い回しのほうが、標語として通りがよかったためと考えられます。
日本語の「余の辞書に不可能という文字はない」は、その流れを受けた表現とされています。「余」という一人称が加わったことで、英雄の自負を語る言葉に変わりました。
意味の変化は小さくありません。原文が「われわれは」と言っているところを、訳文は「私は」と言っています。共有される気質の話が、個人の胆力の話にすり替わっています。
そしてこの変化は、使われ方にも影響しました。個人の胆力の話であれば、他人に向けて「お前にもできるはずだ」と押しつけられます。
この点は、為せば成る、為さねば成らぬ何事もと比べると分かりやすくなります。上杉鷹山のこの言葉は、続きで「成らぬは人の為さぬなりけり」と自らに向けています。
同じ「やればできる」でも、自分に向けるか、他人に向けるかで性質がまったく違うということです。
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この言葉は、使い方を誤ると害になります。上の立場の人が部下に向けて言うと、できない理由の報告そのものを封じることになるためです。
原文が部下への叱咤である以上、その危うさは元から含まれています。現代の職場でそのまま使うのは勧められません。
使うとしたら、自分に向ける形か、前提を疑い直す場面に限るのが安全です。
制約を疑い直すとき
不可能という判断が、思い込みからきていないかを確かめます。
例文:
「できないという前提を一度外して考えてみませんか。技術的に無理なのか、今の体制では無理なのか、単に前例がないだけなのか。分けて整理したいです」
自分を鼓舞するとき
他人にではなく、自分に向けて使う形です。
例文:
「正直、期限までにできる保証はありません。ただ、やる前から無理だと決めるのはやめておきます。まず一週間動いてみて、そこで判断させてください」
使わないほうがよい場面
相手が具体的な困難を報告しているときに持ち出すのは避けます。
例文:
「不可能という言葉はないと言いたいところですが、まずは何が詰まっているのかを聞かせてください。人が足りないのか、仕様が固まっていないのか、そこを先に潰します」
💡 この名言を使うときの三点
- 原文に「辞書」という語はない。日本語の形は後世の意訳とされる。
- 原文は個人の意志ではなく、フランス人の気質に訴える言い方。
- 1813年、ロシア遠征の失敗のあと、崩れ始めた局面で書かれた。
- 困難を訴えた部下への返答であり、叱咤の性格を持つ。
- 上から部下に向けて使うと、できない理由の報告を封じてしまう。
ナポレオン自身はこの2年後にワーテルローで敗れています。言葉どおりにはならなかったという事実も含めて引くほうが、誠実な使い方になります。
「不可能」を分解して扱う
この言葉を実務で使うなら、精神論としてではなく、判断の道具として扱うほうが役に立ちます。
誰かが「不可能です」と言うとき、その中身は一つではありません。少なくとも四つに分かれます。
物理的・技術的に成立しない場合。今の人員や期間では足りない場合。制度や契約が禁じている場合。そして、前例がないので誰も判断したがらない場合です。
このうち一つ目は本当に動きません。しかし残りの三つは、条件を変えれば動く余地があります。
ナポレオンの言葉が意味を持つとすれば、この切り分けを促す場面です。先入観は可能を不可能にするという大谷翔平の言葉も、同じところを突いています。
逆に、切り分けをせずに「不可能はない」とだけ言うのは、報告を封じるだけの行為になります。四つ目の「誰も判断したがらない」を放置したまま、現場に丸投げする形です。
1813年の書簡が書かれた状況を思い出すと、この危うさが見えてきます。ナポレオンは前年に大軍を失い、なお各地で戦っていました。撤退という選択肢を検討できない指揮系統が、どこへ向かったかは歴史が示しています。
言葉としての力と、運用したときの結果は別に評価する。この一句については、その姿勢が要ります。
この言葉が日本で広まった経緯にも、時代の事情が絡んでいます。
明治以降、ナポレオンは立身出世の象徴として盛んに紹介されました。下級貴族の出身から皇帝になった経歴が、身分にかかわらず努力で道が開けるという物語に合ったためです。
その文脈では、個人の意志を強調する形のほうが使いやすいことになります。「余の辞書に」という一人称の訳が定着したのは、この需要と無関係ではないと考えられます。
つまり日本語の形は、誤訳というより、時代が求めた形に寄せられた結果と見るのが近いでしょう。
元の言葉と、広まった言葉と、そこに込められた期待。三つを分けて眺めると、名言というものがどう作られるかが見えてきます。
ナポレオン自身の言葉としては、もう少し慎重なものも伝わっています。セントヘレナ島での回想では、自らの失敗を分析した発言が記録されているとされます。
強い一句だけが残り、迷いや後悔を語った部分が広まらないのは、名言の宿命かもしれません。人は、切れ味のよい言葉のほうを覚えます。
引用する側にできるのは、その一句がどんな状況で発せられたのかを添えることです。背景を一言加えるだけで、押しつけの言葉から判断の材料に変わります。
似た意味の名言・格言
- 「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」(上杉鷹山)— やってみることを説く点で近く、こちらは自分に向けた言い方です。
- 「できると思ってもできないと思ってもその通りになる」(ヘンリー・フォード)— 思い込みが結果を決めるという主張が重なります。
- 「先入観は可能を不可能にする」(大谷翔平)— 制約が思い込みからくるという視点が共通しています。
- 「不可能を可能にする」— 標語として広く使われますが、出典を特定せずに使われる表現です。
言葉と実像のあいだ
この一句を扱うときに避けて通れないのが、ナポレオンという人物をどう評価するかという問題です。
軍人としての能力は広く認められています。一方で、ヨーロッパ各地での戦争によって多数の死者が出たことも事実です。強い言葉を残した人物を引用するときは、結果まで含めて見ておく必要があります。
とりわけこの言葉は、部下の困難の訴えを押し返す文脈で書かれています。組織の運営という観点からは、悪い知らせが上がってこなくなる構造を作る言い方です。
現状維持は後退の始まりのように、前へ進むことを促す言葉は数多くあります。ただ、進めない理由を報告できる状態を保つことは、それとは別に必要です。
実際、歴史上の大きな失敗の多くは、できないと言えなかったことが引き金になっています。ロシア遠征も、撤退の判断が遅れたことが被害を広げたとされています。
そう考えると、この名言のいちばん誠実な使い方は、自分の思い込みを点検する場面に限ることです。他人の判断を押し返す道具として使うと、書かれたときと同じ構造を再現することになります。
言葉としての強さは本物です。だからこそ、どこで使うかを選ぶ価値があります。
まとめ
「余の辞書に不可能という文字はない」は、ナポレオンの言葉として知られていますが、原文に「辞書」という語はありません。
よく挙げられる原文は1813年の書簡の一節で、直訳すると「不可能という語はフランス的ではない」となります。個人の意志ではなく、気質に訴える言い方です。
書かれたのはロシア遠征の失敗の翌年、困難を訴えてきた将軍への返答とされています。順風のときではなく、崩れ始めた局面での言葉でした。
そのため、上の立場から部下に向けて使うと、できない理由の報告を封じることになります。自分に向けるか、前提を疑い直す場面に限るのが安全です。
📋 この記事の要点
- 日本語の「余の辞書に」は後世の意訳。原文に辞書という語はない
- 原文は「不可能という語はフランス的ではない」に近い表現
- 1813年、ロシア遠征の失敗の翌年に書かれた書簡の一節とされる
- 困難を訴えた部下への返答であり、叱咤の性格を持つ
- 上から使うと、できない理由の報告そのものを封じてしまう
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