「多岐亡羊」の意味
「多岐亡羊(たきぼうよう)」とは、進む道が多すぎて、かえって目的を見失ってしまうことを表す四字熟語です。転じて、学問や方針の方向があまりに枝分かれしていて、どれを選べばよいか迷い、本来たどり着くべき真理や目標を、見失ってしまうことをいいます。選択肢の多さが、かえって人を惑わせる——そんな、現代にも通じる落とし穴を、鋭く言い当てた言葉です。
「多岐(たき)」とは、道がいくつにも分かれていること。「亡羊(ぼうよう)」とは、羊を見失うことです。逃げた一匹の羊を追いかけたものの、道が次々と枝分かれしていて、どの道へ行ったのか分からなくなり、とうとう見失ってしまった——。この故事の情景が、そのまま四字に込められています。道が多すぎるがゆえに、追うべきものを見失うという、皮肉な構図が、この言葉の核心です。
現代では「情報が多すぎて、何を信じればいいか分からない。多岐亡羊の状態だ」のように、選択肢や方向性が多すぎて、判断に迷う場面で使われます。ビジネスでは、まさにこの罠が、あちこちに潜んでいます。手を広げすぎた事業、増えすぎた目標、あふれる情報やノウハウ——。あれもこれもと追ううちに、本当に大切な一点を見失う。この言葉は、「選択と集中」の大切さを、二千年以上も前から、私たちに警告してくれているのです。
🐐 分かれ道が多すぎて、羊を見失う
道(選択肢)が分かれるほど、本来の目的を見失っていく
一本道
迷わず羊(目的)を追える
岐路の中に又岐路
どこへ行ったか分からなくなる
選択肢が多いことは、自由であると同時に、本質を見失う危うさも秘めている。
「多岐亡羊」の語源・由来
出典は、中国の古典『列子(れっし)』の説符篇です。思想家・楊朱(ようしゅ/楊子とも)と、その隣人をめぐる、一匹の羊にまつわる出来事に由来します。逃げた羊を追う、という日常の小さな騒動が、深い学問の教訓へとつながっていく、味わい深い物語です。
あるとき、楊朱の隣人が、飼っていた羊を一匹、逃がしてしまいました。隣人は、一族の者を総動員し、それだけでは足りずに、わざわざ楊朱の家の召使いまで借りて、大勢で羊を追いかけに出かけました。それを見た楊朱は、不思議に思って尋ねます。「たった一匹の羊を追うのに、どうしてそんなに大勢が要るのかね」と。
隣人は答えました。「このあたりは、分かれ道が、とても多いものですから」。やがて、追いかけに出た一行が、くたびれて帰ってきました。楊朱が「で、羊は見つかったか」と問うと、返ってきたのは「いいえ、見失いました」という答えでした。
楊朱は、さらに尋ねます。「あれだけの人数で追って、なぜ見失ったのだ」。隣人は、力なく言いました。「分かれ道の先に、また分かれ道があり、その先にも、さらに分かれ道があったのです。羊がどの道へ行ったのか、もう、まったく見当がつかなくなって、あきらめて帰ってまいりました」。いわゆる、岐路の中に、また岐路あり、という状態です。
“大道は多岐を以て羊を亡い、学者は多方を以て生を喪う”
— 『列子』説符篇
この話を聞いた楊朱は、急に顔を曇らせ、その日は一日じゅう、不機嫌で、一度も笑いませんでした。弟子たちは、「たかが羊の一匹、しかも先生の羊でもないのに、どうしてそんなに沈み込まれるのか」と、いぶかしがります。楊朱は、何も語ろうとしませんでした。
のちに、弟子の一人が、この沈黙の意味を、こう解き明かしました。大きな道も、分かれ道が多すぎれば、羊を見失う。それと同じように、学問を志す者も、進む方法があまりに多岐にわたると、かえって本質を見失ってしまう——。楊朱が嘆いたのは、羊そのものではなく、道に迷い、根本を見失う、人の世のありようだったのです。こうして「多岐亡羊」は、選択肢の多さが人を惑わせることの、たとえとして語り継がれてきました。
楊朱が生きたのは、さまざまな思想家が、おのおのの主張を競い合った、中国の戦国時代でした。儒家、墨家、道家——人としての正しい生き方をめぐって、実に多くの「道」が説かれ、人々は、どの教えに従えばよいのか、迷っていました。楊朱が、逃げた羊の話に、あれほど深く心を動かされたのは、まさに、その時代の学問のありさまが、分かれ道だらけの森と、重なって見えたからにほかなりません。進むべき道が、あまりに多く枝分かれしているとき、人は、本当に大切な一つの真理を、見失ってしまう。楊朱の沈黙には、そんな、時代への深い憂いが込められていたのです。
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戦略・方針の場面での使い方
手を広げすぎて、目的を見失う危うさを指摘する場面で使えます。選択肢が多いこと自体は悪くありませんが、それゆえに焦点がぼやけているとき、この言葉で、絞り込みの必要を、やんわりと促せます。「選択と集中」を語るうえで、説得力のある一語です。
例文:
「新規事業の案は出そろいましたが、このままでは多岐亡羊です。すべてを追うのではなく、勝てる一点に資源を集中しましょう。」
情報過多・学びの場面での使い方
情報やノウハウが多すぎて、迷っている状況を表すのになじみます。何から手をつけるべきか分からない、という現代的な悩みを、的確に言い表せます。
例文:
「勉強法の情報を集めるほど、多岐亡羊で動けなくなります。一度、情報を断ち、まず一つの方法をやり抜くことに決めました。」
自戒・スピーチでの使い方
目標を絞ることの大切さを、教訓として伝える場面でも効果的です。
例文:
「あれもこれもと欲張ると、多岐亡羊に陥ります。本当に大切なものを一つ定め、そこへ一直線に進む勇気を持ちたいものです。」
「多岐亡羊」に陥らないために
選択肢が多いことは、本来、恵まれたことのはずです。それなのに、なぜ私たちは、道が増えるほど迷い、動けなくなってしまうのでしょうか。理由の一つは、すべての道を追おうとして、どれも中途半端になるからです。羊を見失った隣人のように、枝分かれのたびに迷っていては、いつまでも目的にたどり着けません。
💡 多岐亡羊を抜け出す3つの指針
- ✔目的(追う羊)を見失わない:道を選ぶ前に、そもそも何のために進むのかを、はっきりさせておく
- ✔選択肢をあえて捨てる:すべてを追わず、本筋でない分かれ道は、思い切って切り捨てる
- ✔一つに決めてやり抜く:迷い続けるより、一つの道を選び、まず最後まで進んでみる
とくに大切なのが、「目的(追う羊)を見失わない」ことです。分かれ道で迷うのは、たいてい、「そもそも何を追っていたのか」が、あいまいになっているときです。追うべき羊が、はっきり見えてさえいれば、どの道を選ぶべきかは、おのずと絞られていきます。道(手段)に迷ったら、羊(目的)に立ち返る——これが、多岐亡羊から抜け出す、いちばんの近道です。手段の多さに目を奪われず、常に目的を中心に据えること。それが、迷いの森を抜ける羅針盤になります。
このことわざが、現代にこそ響くのは、私たちが、かつてないほど多くの選択肢に囲まれて生きているからでしょう。働き方も、学び方も、情報源も、昔とは比べものにならないほど、枝分かれしています。選べる道が増えたのは、たしかに豊かさの証です。けれど、その豊かさは、同時に「何を選ばないか」を決める難しさも、私たちに突きつけます。すべての可能性を追いかければ、結局はどれも手に入りません。多岐亡羊という二千年前の知恵は、選択肢があふれる今の時代にこそ、静かに、しかし確かな重みをもって響いてくるのです。
誤用に注意・使い方のポイント
気をつけたいのは、この言葉が「方針や選択肢が多すぎて、目的を見失う」ことを表すという点です。単に「道に迷った」「物理的に羊を逃した」という意味ではありません。あくまで、選択肢の多さゆえに、本質や目標を見失う、という比喩として使うのが本来の形です。「方向性が定まらず迷走している」状況を指す言葉だと、押さえておきましょう。
読み方は「たきぼうよう」です。やや硬く格調のある表現のため、日常会話よりは、文章や、改まった場面で使われます。なお、似た言葉に「岐路に立つ」がありますが、こちらは「重要な選択を迫られている」という意味で、選択肢が多すぎて見失う「多岐亡羊」とは、ニュアンスが異なります。岐路に立つは「どちらを選ぶか」という場面を、多岐亡羊は「選択肢が多すぎて目的そのものを見失う」状態を指す、と整理すると、混同せずに済むでしょう。
類語・対義語
類語
- 羊頭狗肉(ようとうくにく) ※羊つながりの別語 — 見かけと中身が違うこと。意味は異なるが、混同されやすいので区別したい。
- 群盲象を評す(ぐんもうぞうをひょうす) — 一部だけを見て、全体を見誤ること。本質を見失う点で通じる。
- 木を見て森を見ず — 細部にとらわれ、全体を見失うこと。目的や本質を見失う点で、多岐亡羊と響き合う。
対義語
- 初志貫徹(しょしかんてつ) — 初めの志を、最後まで貫き通すこと。道に迷わず一筋に進む点で、多岐亡羊と正反対。
- 一意専心(いちいせんしん) — ただ一つのことに、心を集中すること。あれこれ迷う多岐亡羊と対になる。
まとめ
📋 この記事の要点
- 意味: 進む道が多すぎて、かえって目的や本質を見失ってしまうこと
- 語源: 『列子』の故事。分かれ道が多すぎて逃げた羊を見失った話に由来
- 使い方: 手を広げすぎた戦略、情報過多、目標の絞り込みを促す場面で
- 注意: 単なる「道迷い」ではなく、選択肢過多で本質を見失う比喩
「多岐亡羊」は、『列子』の、分かれ道が多すぎて羊を見失った故事に由来し、進む道(選択肢)が多すぎて、かえって目的を見失ってしまうことを表す四字熟語です。選択肢の多さが、人を惑わせるという落とし穴を、鋭く言い当てています。
大切なのは、手段の多さに目を奪われず、追うべき羊(目的)を見失わないこと。迷ったら目的に立ち返り、選択肢を絞り、一つの道をやり抜く——それが、迷いの森を抜ける道になります。初心を貫く「初志貫徹」や、方針がころころ変わることを戒める「朝令暮改」とあわせて読むと、ぶれずに進む力が養われます。
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